脳卒中と私の人生

池田千代美

 私は、三十七歳の夏に脳卒中(クモ膜下出血)になった。医師より病名を告げられた時、家族は一同に「信じられない」と耳を疑い、両親においては「自分より先に娘が・・・」と、何ともいえない複雑な気持ちになったそうだ。私も三週間くらい後に意識を取り戻しその事実を知ったときには「何で私が・・・」と、言葉を失った。自分とは縁のない、かかるとも思っていなかった病気。私は家族の中で誰よりも健康だと自負していたのに・・・。確かに、この病気にかかってしまった事はショックだった。しかし、本当のショックは退院後に訪れた。この病気をした事によって、大切なものをたくさん失ってしまっている事に気づいたからだ。人一倍、明るかった性格。体力。仕事。私の足だった車を運転すること。数えあげればきりがないほどのものを失ってしまった。そんな時に心の底から、ごく自然に沸き起こってきた言葉。「なりたくてなったワケじゃないのに・・・。」実際に口に出して言う事はなかったけれど・・・。あの時の心の葛藤の被害者は割れてしまったTお茶碗UとつぶれてしまったTティッシュの箱U。

 でも、そんな時間は長くは続かなかった。

 なぜなら、物に当たったりしている自分を自分自身が嫌いだったから・・・。「病気になった事は紛れもない事実」と、涙しながらも受け入れる道を歩もうと決めた。しかし、思ったように上手くはいかなかった。焦れば焦るほど気持ちだけが空回りする毎日。努力しているのに、頑張っているのに・・・。虚しく、切なく、苦しい日々は続いた。そんな中で更に私に追い打ちをかけたのが、後遺症のTてんかんUだった。私のてんかんはT症候性てんかんUというものだった。発作が起きる度に家族の口から決まって吐き出される「またか」「まただ」などの言葉に、私はますます家の隅に追いやられたような孤独な気持ちになっていった。また、私の中でも「何時、何処で発作が出るかわからない」という恐怖心がどんどん強くなっていき、次第に外に出る事をためらうようになっていった。けれど、家の中に居るからといって安心できていたわけではない。「発作が出れば家族に迷惑をかけてしまう」「発作が起きている時の姿を見せたくない」と、何時、襲ってくるかわからない発作にビクビクしながら過ごしていた。とにかく、てんかんの事は誰にも知られたくなかった。「どうせ自分がてんかんになった事がなければ、てんかんの人の気持ちなんてわからないんだ」という諦めの気持ちは固まった。周りの人の理解なんてほど遠い。中には、てんかんイコール精神異常者と冷たい視線を向ける人さえいた。「何が皆、平等だ。世の中なんて偏見と差別で溢れているじゃないか」「自分なりにてんかんも受け入れようとしているのに、周りの人間の方が拒絶しているんじゃないか」私は精神的にもどんどん疲れていった。弱り目に祟り目。周りの人が無意識に発した何げない一言が私の心にグサリと刺さる。「身体障害者手帳は持っているのかな?身体より頭の方がおかしいみたいだから、それを言うなら精神異常者手帳じゃないのか?」「病人が家族にいると、病院代や薬代がかかって大変だね」どこからともなく耳に入ってくる声。頑張れた自分も、努力できた自分もここまで。それらの話し声に「そうだよな。家族にも周りの人達にも迷惑をかけているんだよな。あの時、いっそ死んでいれば良かったんだ私なんて・・・」その時の私は、やけに素直だった。「周りの人も私も辛い思いをしなくて良い方法はないの?」「死ねば良い」この答えを出すのに、そう時間は必要なかった。答えが出れば、あとは実行するだけ・・・。私は手元にあった風邪薬をあるだけ全部飲み込んだ。しかし、所詮、風邪薬。気持ちは悪くなったが死ねなかった。数日後、今度は車庫の隅に置いてあった除草剤を水で薄めて大量に飲んでみた。意識がどんどん薄れていく。TファーUっと浮き上がる感覚を今でも覚えている。「みんな、今までどうもありがとう。」私は静かに目を閉じた。喜んで良いのか、悲しんで良いのか・・・失敗。気がつけば病院のベッドの上だった。久しぶりの一泊入院。病院を出た後、私の気持ちは少しであったが変化した。「環境を変えてみよう」家を引っ越しT新しい土地へU・・・。成功、成功、大成功。以前の土地とは違い、私に対してキツイ言葉を投げかける人はいなかった。外にも出られるようになった。友だちもできた。あれだけ恐怖だったてんかん発作もだんだんと減ってきた。変われば変わるものだ。私は自分らしさと自信を取り戻す事ができた。自信を持てるという事は素晴らしい事。私は今までになかった力を発揮する事ができるようになっていった。周りの人に対して「クモ膜下出血を以前にやり、てんかんにもなり、死を考えた事もある」と、自ら言えるようになったのだ。類は友を呼ぶ。そうやって堂々と声に出していたら「私も死を考えた事がある」「私はウツ病だ」などと言う仲間が周りにたくさん集まってきた。今までの人生でここまで共感できた仲間はいただろうか?Tクモ膜下出血Uになったからこそ出会えた仲間。私は今まで、何となくモヤーっとしていた目の前がスッキリとはれた気がした。共感し合える仲間。私はこれから先の人生をこの仲間達と一緒に手を取りあって歩いて行こうと思っている。三年経った今、一人で当たり前に食事ができている。月一回の通院も誰にも付き添ってもらわず一人で行けている。あの時とくらべたら、ほんの少しだけど確実に前進している。私の人生の中で出逢った「脳卒中(クモ膜下出血)」。なりたくても、誰もがそう簡単になれるものじゃない。これだって貴重な経験なんだ。私の人生の大切な一ページなんだ。と、前向きに明るく過ごせている。ここまでくるのに、どれだけ多くの人に助けられてきたかわからない。今、私の心の中は感謝の気持ちで溢れている。確かに感謝なんてできない時もあったけど、感謝する事は大切な事だと学んだ。そして、もう一つ学んだ事。それは「実際に病気で苦しんだ経験をした人でないと、現在、病気にかかって苦しんでいる人の気持ちはわかってあげられない」と言う事。私はこれからも、自分の脳卒中(クモ膜下出血)そして、てんかんの事を恥じずに、隠さずに堂々と話して行こうと思っている。私が話す事で、現在、苦しんでいる誰かの肩の荷を少しでも軽くしてあげる事ができるのなら・・・。

 


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